リアル人生ゲームのルールと勝ち方解説!当たり前だけど忘れがちな方法とは!?

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この記事ではリアル人生ゲーム、すなわち人生という名のゲームについて解説しているのであしからず。(2020/09/03追記)

人生ゲームってやったことありますか?タカラトミーから発売されているボードゲームです。
ルーレットを回して、止まったコマの出来事をこなしながらゴールである億万長者の家へ向かいます。主題がでかい。「人生」って、人間の全て。人生の全てが目の前のボードにすべてあるって面白いけど少し怖くもあります。

本物の人生において私たちは人生ゲームで言うところの自動車に乗っている青かピンクの棒なので、人生ゲームのプレイヤーは本物の人生で言うところの神とか仏とかそういう人知の及ばない存在になるんですかね。人生ゲームのプレイヤーはルーレットを回し、自分の分身である車と棒人間の運命を操っていきます。

人生ゲームを実際の人生に応用して考えてみると、私たち(=自動車と棒人間)は自分で選べることはそうそう多くはなく、神とか仏とかが回すルーレットが示す方へ向かわされているだけなのかもしれません。ストップ!って書いてあるマスで行き先を選ぶくらいなもんかもしれません。

すみません脱線してしまいました。ところで人生ゲームでは脱線ってありませんね。ずーっと進む先がゴールまで決まってますからね…人生は結局ルールの中ですべてが行われているという壮大なメタファーの産物が人生ゲームだったという可能性がソシャゲのガチャにおけるSSR排出率くらいあるかもしれません。

また脱線してしまいました。脱線するのは人間の習性ですね。

では、突然ですが人生ゲームを一人でプレイすることを想像してみましょう。

一人でルーレットを回して車一台を乗り回し、最終的にゴールである億万長者の家にたどり着きます。手持ちの金の多さで順位が本来つきますが、他の参加者はいないのであなたが一位です。おめでとうございます。

面白くないというか、ゲームとして成立してません。ルール違反です。ゲーム不成立、NO CONTEST、スマブラだったら全員横並びで拍手してますよ、浮かない顔をしたキャラクター達が。

ふと思いつきましたが、人生ゲームを小説のネタにしたら大変奇天烈な物語ができるかもしれません。これ、私が実践するので先にやらないでくださいね。

人間はひとりで生きていない

前置きが長くなってしましました。

さて、何が言いたいかというと人生ゲームに放り込まれる以上、完璧に一人では生きていけないというか、生きていないということです。可能性ではなく、前提としてそうなのです。

極端な例を出せば、そもそも人間は人間から生まれるので、人間が急に何もないところからぽろっと生まれたりしませんね。けど夏のコバエは何もないところから湧くような気がするのは気のせいですかね。

他人との関わり合いの濃淡は人それぞれですが、人間は完全に孤独ではありません。

これは励ましの言葉とかではなく、事実です。

手垢のつきまくった言い方ですが、「生まれる」という言い方は受け身です。自分が生を受けることに自分自身の意思は介在していません(少なくとも知覚できる範囲では)。

だからいくら嘆いても人生ゲームに放りこまれているという事実は一生変えることができません。一生は一人の人間が生きてから死ぬまでという意味なので、人生が終わったらどうなるかわかりません、知らんけど。

生きていくということはいったいどういうことか

人生はゲームです。ゲームというのは「娯楽」という意味ではなく、ある一定のルールの中で行われている行為という意味です。

そのルールを理解することが、人生というゲームを攻略するためには大切です。ただし攻略といっても同時に存在する複数のヒロインを全員攻略するみたいなパラレルワールドは実現できませんが。

他人が存在する中で生きていく。これは人生ゲームにおいて変えられないルールです。自給自足のライフスタイルはこの現代では無理なので、他人を利用する代わりに自分も他人に利用されていく、このように全員が手を取り合い足を引っ張り合い協力しながら生きていくのです。

ちなみに人生ゲームも時代に合わせて変わってるんですよ〜。最近のやつだとインフルエンサーになってフォロワー数の数で勝負する人生ゲームもあるそうで。人生というゲームのルールは遊戯王の禁止カードのごとく変更が大きいのでしっかりキャッチアップしていこうぜ!

自分勝手に生きていられるのだろうか

私は、自分がやりたいことをやって生きていきたいし、何かに縛られたくないと思うことが定期的にあるのですが、それを完全に実現することはできないと最近わかってきました。

わかりやすい例として、「労働」をとりあげましょう。自分の好きな仕事をするといっても、自分の労働の対価を誰かが払ってくれるから仕事になるわけで、つまり直接的であれ間接的であれ誰かの役に立たない限り「労働」ということはできません。

いやいや、自分のやりたいことをやって生きている人とかいるじゃん、小説家とかアーティストとか。と思ったりしますか。しかしそういう人たちは誰かに支えられるから、誰かがお金を払ってくれるから活動できているのです。売れない小説家や売れない路上ミュージシャンは、言い方を変えればエゴが過ぎる、という言い方もできるでしょう。自分の文章を書き続けたり、自分の好きな音楽だけ歌いつづけても誰かに届かない限り、売れることはありません。

もちろん、売れるためには実力だけではなく、コネとか時の運とかどうしようもないファクターがめちゃくちゃ多いことは承知しております。私自身、売れずにやっている小説家やアーティストという存在が好きなので、決してディスる意図があるわけではありません(必死の弁明)。

プロのミュージシャンとかは、その人が音楽を作ることによって、自分の製品の宣伝になったり、レコード会社の収益になったり、コンサートホールの収益になったりとかして誰かの役に立つ、もっと言えば誰かにお金を生み出しているから、そのお金の一部をミュージシャンが得られるという仕組みで生活できていると。

というわけで、好きなことだけやっていたい!というのは誰もが思うことだと思いますが、現実的にはほぼ不可能であると。「好きなことで生きていく」というフレーズは非常に魅力的ですが、それは結果論であってそこに行き着くまでの過程を見過ごしています。もし本当に好きなことだけやって生きているひとがいるとすれば、自分の好きなことがたまたま誰かのニーズに合致してしまった強運の持ち主なんじゃないですかね。

私だってこうして好き勝手なブログを書いているだけでお金がもらえれば万々歳ですけど、実際は無理なんですね。ブログを書いてお金を稼ごうと思ったら、商品の宣伝をしたりとかそもそも誰かがお金を払ってでも読みたいと思う面白いと文章を書いたりとか、行為の主軸を他者におく必要がありますから。

こうしてブログを運営していると、どの記事が人気があって、どれくらいのアクセスがあるか、みたいなデータがわかります。このブログのサイドバーにも「人気の記事」が表示されるようになってますしね。私が購入したイヤホンのレビュー記事だけダントツでアクセスが多くて、こういう日記みたいな記事ってほとんど誰にも読まれません。好き勝手やっていくだけではうまくいかないんだなー、ってブログを書き始めて改めて思いました。

そもそも、このブログにも広告が表示されているんですけど、所詮私自分のブログといってもGoogle広告の掲示スペースなんですよね。ブログの中身に大して意味はなくても、広告の出稿主とGoogleの間ににお金が発生している。だからこうした毒にも薬にもならない、しがないブログでも存在していられるというか。

(私にも広告掲示料として月に数十円〜100円くらい入ってきてるんですけどね、一応。サーバー代とドメイン代がこのサイト運営のためにかかるので赤字です。)

生きていくための現実的なライン

と、いっても誰かのニーズに応えるだけで生きていくのは窮屈すぎてやってられないですし、世界の人口はもうすぐ80億人を超えると見込まれていますから、ニーズもほぼ無限にあるわけです。だから、自分のやりたいことと誰かのニーズに応えることをうまく折衷できるラインが必ずあるとおもうんですね。

ミュージシャンを引き続き例として取り上げてみましょうか。まずニーズを把握するところから始めましょう。あなたがロックのミュージシャンになりたいと思ったら、どうやったらロック音楽を作ることで自分自身にお金がめぐってくるか考えます。本当はB’zみたいにバリバリやっていきたいけど、B’zほど自分がすごくないなら、デカイドームを満員にするコンサートをやってお金を生むラインは諦めて会社の専属ミュージシャンになって映画やドラマのサウンドトラック制作をするラインを選ぶ、みたいな取捨選択が起こってきます。やりたいことをいくらか諦めなければならないけど、B’zになるよりかは会社勤めのアーティストの方がまだニーズは多いはずですから、やりたいこととできることのバランスがある程度とれた選択ではないでしょうか。

もちろん、できることが大きいと思えばB’zを目指して頑張ったっていいわけです。人生の全てを音楽に捧げ、生活を切り詰め、路上や小さいハコでライブを重ね、YouTubeなどで音楽を継続的に配信して、いつか売れる日を夢見る…みたいな気力と本物の意志とがあれば。

そういえば、高校生くらいまでは「大人の世界ってつまらない世界だな」と思っていたような気がします。夢がなくて、夢を持つことも否定されて、「現実をみなさい」とか「しっかり勉強していい会社に勤めなさい」とかなにつまらんこと言ってるんだ、と。けど自分が大人になってみてわかりました。これが現実であって、高校生くらいの自分には見えていなかった世界だったんだと。悲しいね。でもやっぱり、親の心子知らずって言うよね。世の常〜!

もう無理だ〜!死にて〜!!!って思うこともありますけど、人生ゲームは基本的に死ぬことは想定されていません。目的はゴールにたどり着くこと、走り続けることです。自分の意思ではないにしろ生み出され、人生ゲームに参加してしまっている以上、死ぬことは諦めて最後までゴールまでたどり着いてやるかな、だるいけど。って思うようにしました。死ぬのは本質的な解決になっていなくて、きっと解決できる方法がどこかにはあるって思っています。

もっとも、本当に死を考えていると自分と死の距離感みたいなものがバグってしまうので、りんごが木から落ちるように重力に引き寄せられてすっ、と自殺してしまったりしてしまいます。本記事の本筋ではありませんが鬱状態というのは非常に慎重なケアが必要です。自分でヤバいなと思ったら現実から向き合うのを一旦やめましょう。落ち着くまでゆっくり休んでね。そう簡単に人生終わったりしないよ。

まとめ

大人になるってこういうことかー!悲しいけどこれ、人生なのよね。

一月先の人生すら不透明な、極めて不安な今を生きていますが。頑張っていきましょう!

全ての人類に幸あれ!

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